生まれて初めて人狼ゲームをした話

こんなコミュ障が人狼なんてできるのか?
結論、できるはできたのだが、死を覚悟したのだった。

やったのはGoose Goose Duckというゲームで、Among Usのフォロワーらしい。
内容はほとんどAmong Usと同じとのこと。
Gooseが市民で、Duckが人狼人狼は市民を殺すように動く。市民は殺されないように立ち回り、人狼を見つけ出し、また、別の勝利条件、タスクを一定数こなすことで勝つことを目指す。
死体を発見したり、ディナーを開くことで、討論時間に入る、そこで誰を人狼と見なして殺すかを決める。過半数の票が入らないと、誰も殺すことなく討論の時間は終わる。

本当の人狼ゲームを知らないからなんとも言えないけれど、アクション要素があって、マップ内の視界は制限され、ボイチャの聞こえる範囲も制限されるのは、ゲームとして楽しいなと思った。いつ殺されるか分からないという孤独感が強く味わえる。人狼側としても、殺した瞬間を他の市民に見られていないか、スリルを味わうことができる。

今回は、8人ほどで遊び、2人が人狼だった。
自分含めほとんどが初心者で、手探り状態でのゲームだったが、みんな慣れてきて、最終的には、負けた時には反省点と悔しさを感じ、勝った時には手応えも感じられて、ルールを把握できてきたということだなと感じられた。

このメンバーは、ほとんどが初対面か、1回会っただけの人で、友人と言える人は1人しかいない状態だった。
4時間ほど遊んだが、緊張感と高揚感でアドレナリンどばどばの状態だったなと、今になると感じる。

さて、その後が問題だった。
完全にもぬけの殻になってしまった。なんにもできなくなってしまった。アドレナリンが切れ、自分の魂は死んでしまった。
初めての人と会話すること、どころか討論まですることの緊張、これで精神が完全にすり切れてしまったようだった。
結局横になってYouTubeを見るくらいしかできず、4時間遊んだ後の4時間、死んでいた。
さすがに腹が減って食事をして、そこから少しずつ生き返ってきた。それでもその日一日は、人と会話をするのもままならず、蚊の鳴くような声しか出ず、人に自然に微笑みかけることもできず、完全にMPが切れた状態になってしまった。
こんな経験自体初めてで、自分で驚いた。楽しかった、それは間違いない。でも、精神が疲れてしまうことに驚いたし、ここまで疲れ切ったことも驚いたし、自分のコミュ障性が完全に発揮された瞬間だったと思ったし、その、自分はファッションコミュ障で、ほんとはコミュニケーションできる人なのかもしれない、という一縷の望みが絶たれた瞬間でもあった。自分は人と話すと、親密度の高くない人と話すと、確実に「削れる」。それはもう、現状ではどうしようもないのだとわかった。だってこんなに楽しかったのに。別に体調も悪いなんてことないのに。でも死んでしまったんだから仕方ない。なにも言い訳できることはない。自分はコミュ障であるという自己認識を確かにして生きていこうと思った。話しすぎて疲れることを自覚しよう。これ以上この場にいたら死ぬと思ったらそこから離れよう、楽しくて寂しくても。自己理解が深まった一日だった。

さて、人狼ゲーム、特にGoose Goose Duckに対する感想。
未来を変えられるゲームだと思った。
誰もが他のみんなを知ることはできないから、知っていることについて討論で主張できることが、この類いのゲームの肝であり、面白さだと思った。
みんなで主張し、つるし上げる人を決める。そう、過半数の支持が得られないと決定されないから、討論で皆の意識を合わせることは必須なのだ。
だが、同時に、自分にとっては一番苦手な部分だった。
自分のやっていたことを話すこと自体も苦手だし、話しても疑われてしまうこともあった。
これはゲームなのである。人狼ならばある程度嘘をついたり道化を演じたりすることも、勝つためには必要なのだ。
それでも…自分は自分の殻を破ることができなかった。恥ずかしかった。嘘はつかない、ありきたりのことを言うことは心がけたけど、それ以上に踏み込んで物を言えなかった。
恥ずかしいよ。あれウソだったのとか後からばれるとか、演技してみせたりとかって。ほんと。
だったらゲームとして参加できていませんね、といわれたらその通りで、楽しいな、とは思ったけど、サボってただろ、と言われたら言い返せないのだった。
そういった後悔もあったかもしれない。ゲームを遊んだ後のダメージには。

自分は、ゲームとして、その、アクションパートでの立ち回りは結構うまくやれていたと思った。シリアルキラーだってやってのけたし、それで勝てた回もあった。
でも、討論が大の苦手なのだった。
自然言語で意見を通じ合わせる。口調やトーンでウソやホントを感じ取る。何かしらの結論に民意を寄せる。む・ず・か・し・い。
そのときは、幹事役をよくして、沢山話してくれる人がいたから楽だったけど、自分にそのムーブはできないなと思った。
なんなら、ウソやホントを感じ取るには、アクションパートでの動き方の方がよっぽど自分にとってはわかりやすい。市民ならこんな怪しい動きはしないって、わかるもん。そっちの方が血が通ってダイレクトに感じられるもん。
これがゲーマーの性かな、なんて。

結局、自分の人間性みたいなものが浮き彫りになった一日なのだった。
ゲーム内のほうが人の心が分かる自分、討論が苦手な自分、遊びきった後はコミュニケーションポイントがなくなり燃え尽きてしまった自分、そんな自分を知ることができた。
そうなることがわかっていたから、今まで人狼ゲームを避けてきたのかもしれないね…。
楽しかったけど、次やるか?と聞かれたら、…。ポジティブでもない、ネガティブでもない、ニュートラルかもなって。

あと、こんなに自分の弱点が浮き彫りになったんだ、こんな自分でもコミュニケーション能力を高めることはできないだろうか?というのは興味を持った。
どうしたらいいんだろうね。コミュニケーション能力を高めるセミナーとかカウンセリングとかあるのかな?でもだって4時間灰になった人間だよ!?そんな自分でも変わることができるのかなって不安になる。でもいつもコミュニケーションが苦手な自分だから、克服できたらちょっと人生も楽になるかなって思う。
こんな自分は何から始めればいいの??ゴールを決めるとしたら、まずは、お話しても疲れない自分になりたい。疲労量を減らしたい。
身近な人、つまりどれだけ話しても疲れない人、とのコミュニケーションでも、積極的に増やしていったら、コミュニケーションへの不安感は薄れていくかな?なんか休みの日こんなことがあったみたいなことを一生しゃべり続ける、みたいなのでもコミュ力伸びるかな?自己開示が必要なのかな?その、この話題はやめとこうみたいなブレーキが、疲れにつながるのかな?コミュニケーションと、そこで受けるダメージと、その克服法と、全部が課題で、でも全部全然つながらない、不思議な感覚。
コミュ障改善の秘訣を随時募集中です!コミュニケーション本とかも興味深いです!

という感じでした。振り返ると興味深い体験だったなと。ほんとに、ほんとにね、終わった後の何もできない感じはやばかった。精神だけ死んでいて、精神が死ぬと体も動かせなくなるんだなって、これって、これってごめん、当事者がいて軽はずみな発言だったら申し訳ないんですが、鬱の症状そのものなんじゃないかな、って思った。
それって、お仕事で会議がありますってときも、たとえば運悪く一日中会議で埋まっていましたってなったら同様に屍になる可能性を秘めていて、それが怖い。
でもどうしたらいいかわからない。うまくいかない自分を感じる。このままだと屍予備軍だなっていうのも怖い。
答えも結論もない、生身の体験談でした。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。