堕落

酒を飲まないとやってられない気持ちに。風呂も長風呂し、気付けば完全にやばいレベルの夜更かし。 堕落だ。心に負荷がかかったとき、堕落に逃げる。

書こうとした記事が既に書いてあった。 なんというか、自分のワンパさとか、おんなじこと何回も考えているんだなぁと思った。 そして、自分の文章への考えも変わる。書けば書くほどうまくなっているように感じるときもある。今日は間を空けたからヘタクソになったと感じる。 夜更かしはよくないね。頭が雑になっている。

本との付き合い方、変わる

ここしばらくは、確実に自分の糧になるであろう、網羅的で包括的な内容を取り扱う本を選んできた。 ニッチめなよい本、とか、心のカンフル剤、とか、自叙伝、みたいな本は読まないできた。 その代わり、読む本に関しては目を皿にして一字一句逃さず吸収するぞ、そんなスタンスで臨んできた。

ももしかして、読書って質より量なのではと思い始めている。

何かの技能を身につけるには、それに関する基本的な動作を、まったくの無意識で繰り出せるようになるまで練習すべし、という言葉を最近よく目にする。 確かに、文章も、語学も、楽器も、絵も、運動も、プログラミングも、ゲームも、きっとそうだ。 基本をノーストレスでできるからこそ、応用的なことを考える余地ができる。

知識や教養もそうなのではないか。 最近、昔読んだ本のことを何かの拍子で思い出すことが多くある。何かの意見を話そうとしているときに、本の内容を思い出す、みたいな。一生懸命読んでいたわけでもない本でも、思い出すことがある。知識が有機的に繋がる瞬間ってこういうことなのかな。

つまり、なんでもかんでも吸収する。興味があることないこと、たくさん読んでみる。今は役に立たなくても、それは自分に貯まっていって、人間としての深みになるんじゃないか。

だから、本を読む。とにかくとにかく読み進める。いまはわからないこと、面白くないと思うことも、ま、流し目でも良いからとにかく読む。 このスタンスもまた、納得する。 そんなこんなで、最近、読む本の種類を変えている。買う本が今まで以上に見境なくなってきている。

ガンガン読み進めていこう。いいんだ、目を皿のようにしても、どうせ忘れるんだよ。大丈夫、その中で少しでも記憶に残ったものが大事なことだし、そういう文はわかる。雑に読んでいたとしても、良いところは見逃さない。これまでもそうだっただろう。 ある意味、今までの読書経験で知ったことはこの段落の内容に尽きるかもしれない。

自分というひとつ

腹がいてえ…家畜のえさのような得体の知れないサムシングを食べて胃もたれを起こしている。ジャンキーなもののなかでもかなり下位に入るものだ。店はいやにたくさんあるから、ときどき気を抜いて行ってしまうがだいたい後悔する。

今回メシを選ぶという小さな選択にミスった。人生の大きな選択は…どうだ?自信を持って、自分のやっていることが正しいと言えるか?何のために生きているか、明確にしているか?10年前想像した自分になれているか?

どうだろうね。意識高い質問はたくさんできるけど、ずっと読んでいると滑稽に見えてくる。自分はそれを求めているのか? 自分は意識的にしろ無意識的にしろ、今の人生を選んできたんだ。そしてこれからも自分は選んでいく。それでいいじゃないか。今の自分を認めてやりたい。

選ぶということは他のことを捨てるということ。自分と他の人とで考え方が全く違うなぁと思うことがある。それは、自分のスタンスを選んで、他を捨てて、その積み重ねをしてきた結果だと思う。自分の考え方が間違っているわけではない。他の人の考え方もまた正しい。答えは無限にある。むしろ同じ答えを出す人なんていない。それだけ人間には多様性がある。

そう思うと、ここにしかいない自分のこと、少しは認めてあげられるような気がする。認める認めないじゃないな、そういうのも含めて受け入れられる、そんな気がする。

思いと力

時間は有限なんだなぁ。 何かしたいと思ったときにしないと次いつできるかわからない。 だから…毎日悔いのないように生きたい。

ただ、何かをしたいと思ったときに、それができる能力がないと悔しい。 絵を描くとか、歌を歌うとか、楽器を演奏するとか、上手に文章を書くとか。 こういうことができたらいいのにな!って思っているだけじゃ、できるようにならない。

やってみなきゃ、練習しなきゃだめなんだ。 もちろん簡単なことじゃないから、一生のうちにどれだけできるようになるかはわからない。 へたくそな間は、悔しい思いをすることもいっぱいあるだろう。

それでも、やりたい。 やらなくて何も変わらない、いつもできない、できる人に羨ましい思いをするのはもう嫌なんだ。 なんでもいい、自分の思いのたけをぶつける力を身につける。

自分そのもの

ずーっと、人目を気にして生きている。 お前はどうなんだ?と聞かれても、自分のことがわからない。口ごもってしまう。

誰かと比べて、得したとか損したとか、あの人もやっているから、とか、そんなんでずっと生きてる。 自分に自信なんてないよ。 自分のやりたいことなんてひとつもできやしない、成し遂げる力なんてありゃしない、そう思ってる。

誰かに引っ張られないと生きていけないんだ。どうしたらいいかわからないんだ。 自分で切り開くこと、自分の意志に責任を持つことを怖れているんだ。 いつも逃げ道を視界に入れていないと怖くて動けない。

卑屈だし、いつも負け犬の遠吠えばかりだし、こんなの嫌だ。 でも、これはこれで楽だし、その代償として卑屈な感覚を味わっていると考えれば、バランスは取れているようにも感じる。 嫌だからといって、嫌とかいうネガティブな気持ちじゃ自分を変えることはできないだろう。 自分はこれをやりたい、これのためならプライドなんて捨てられる、そういうもののためでなければ、力強く変わることなんてできないだろう。

もしかしたら、あるのかもしれない。見つけられるのかもしれない。 まだ気づいていないだけなのかもしれない。 今の視野はとても狭いのかもしれない。

もしくは、考えが極端なのかもしれない。 白か黒か。 抜本的に変わるか、クズのままか。 少しずつ変わっていくことなどありえない。

あー、これはあるかもな。 すぐ両極端に考える癖があるかも。ある。 少し光が差してきた感じがする。

完璧な人間なんていないし、完全にクズな人間もいない。 なにか良くないことをした人間だって、すべてが悪に染まっているわけでもない。 わかっていても、自分には完璧を求めてしまって… 些細なことでも、自分が落伍者に見えてしまって。

もう少しだけ、緩やかに生きたい。

他人の欠点

人の嫌なところが目につくとき、たいていそれは自分の欠点でもある。 自分の欠点に気がついている、気にしているからこそ、他人からその要素が見えたとき、すごく気になってしまうんじゃないかな、と最近感じている。

ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

ザ・ワーク 人生を変える4つの質問

この考えはこの本からきている。 この本の4つの質問の中で、他人に感じている嫌なところを自分の嫌なところに言い換えるということを行う。

この本を読んだときには、なんで自分に言い換えるんだろう、納得できなくない?と思っていた。 でも、今ならわかるかも。 人の嫌なところは、自分の欠点だったり見たくないところの反映なんだ。

この本から言い換えるという考え方を学び、 実生活でその効果とか意義に気がつき、 この本の考え方に納得することができた。

面白いと思うとともに、時間をかけて考えが熟成されることもあるんだなと思った。 この本を読んだのは確か2017/2だから、3ヶ月前くらいかな。

本は、読了してから3ヶ月くらいたった頃に再読すると良いのかもしれない。新しい考えが浮かぶかも。